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じゃっぱ汁




新年最初の朝食は、ヒラメのじゃっぱ汁。

ヒラメじゃっぱ汁

先日集落の有志で行った忘年会の為の食材を仕入れに行って、お目当てはリクエストのあったブリしゃぶ用のブリだったのだけれど、青森県産のヒラメが目についた。

「白身の刺身も欲しいな・・・」

さばくのが手間なので冊になっているものをと思ったけれど、値段を見るとひと冊(1/4匹)が千5百円、丸々一匹(やや小ぶり)も千5百円、悩んだ挙句に一匹買いした。
ブリは千葉県産の5kgのものを6千5百円で購入。
佐渡産の寒ブリ10kgクラスは4~5万円の値がついていた。

ブリ

自宅でさばいたそれらのアラを、ここ数日コツコツと食べている。

ヒラメのアラは鍋に放り込んで水炊きし味噌を溶いておいた。
アク取りもせずに煮たので、やや生臭い。

じゃっぱ汁の「じゃっぱ」というのは、魚のアラのことを津軽弁でそのように呼ぶのだけれど、いわゆる「生ゴミ」のこともじゃっぱと言う。
捨てるような所も粗末にせず、汁に仕立てて骨に残った身や皮をしゃぶりながら食べるのである。
飲み込むと厄介な針のような小骨も、食べ慣れた人は口の中でムニャムニャしながら前歯のほうへ上手に寄せてきて、口先からピロピロと排出する。

じゃっぱ汁の王様といえば大きな真鱈のじゃっぱ汁だろう。
ふっくらした白身、プルプルのゼラチン質、コリコリの軟骨質が一度に楽しめる。
アン肝にも引けをとらない濃厚な肝の風味がまた格別である。

大晦日の宿直勤務明けでヒラメのじゃっぱ汁を半ば啜り終えようとして、気が付くと用意したご飯に手がついていない。
子供の頃から小骨の多い魚に取り掛かると、ご飯を忘れてしまう。

「ままもかなが(ご飯もたべな)」

笑顔で見ていた祖母の佇まいを思い出した。



テーマ : 料理
ジャンル : 趣味・実用

けずし(2014初夏帰省)

(ホヤミズ項からの続き)

初夏の青森へ帰省した2日目は、ねぶた囃子の練習に耳を傾けながら夕方まで岸壁釣りを楽しんだ。

滞在中に立ち寄りたい店などは友人と事前に相談していたのだけれど、日曜の夜はことごとく休業日で夜の徘徊先が定まらない。

「街なか温泉(青森駅近く)で風呂さ入って、新町(駅付近)で飲んで代行で帰るが」
「雲谷温泉さ入りてな。観光通りさいい飲み屋ねべがな」

結局、一旦家に車を置いてバスで温泉まで行き、とりあえずはそこで入浴を済ませて生ビールを飲もうという方針が決まった。

友人宅でバスの時間までご両親と話しながら缶ビールを飲み、時間を見てバス停へ向かった。

「千葉食堂のそばも食ってみてがったな(食べてみたかったね)」
「んだな(そうだね)」
(※青森市内で「そば」は概ね中華そばを指す。蕎麦は別途「きそば」と呼ばれる)

僕らが物心ついた頃から営業を続けている食堂である。
子供の頃、出前といえばいつも千葉食堂だった。
たいがいは中華そばかカツ丼。
でもここ三十年は食べていない。
長い間には味を変えているかもしれないけれど、スープを一口啜った時に
「うわあ~この味だ~!!」
という感動を味わえそうな気がするのである。
味覚・嗅覚の記憶というのは失われにくいものらしい。

かつて賑わったスーパーのあった場所が更地になっていて、その前に停車しているバスを見ながら、

「どす(どうする)?」
「どす?」

二人ともすぐ先にある千葉食堂の中華そばが気になるのである。

「そばけばビールまぐねぐなるな(ラーメン食べるとビールがまずくなっちゃうね)」
「んだな(そうだね)。千葉食堂で飲んでまるが(飲んじゃおうか)」
「んだな。バスは?終バスだけど」
「やね、歩いていぐべし(いいよ、歩いて行こう)」

かくして向かった千葉食堂は、店内の明かりはついているもののカーテンが閉ざされていて、たったいま閉店したばかりの様子であった。懐かしの中華そばを食べそびれた二人の横を終バスが通り過ぎていった。

昔歩いた通学路を二人で歩いた。
母校の旧校舎近くにある温泉施設「かっぱの湯」までの道のり。


温泉に浸かり、友人より一足先に待合スペースに出て腰掛けていた。
マッサージコーナーの前に立っている女性が知人に似ていて、二度見して別人と察したけれど、視線に気付いたのか目が合った。慌てて視線を逸らした先にまた同じ女性に似た人がいて、今度は本人だった。

こんな偶然、確率にしたら何%になるのだろう・・・。
こちらから、声を掛けた。

「え?どうしたの?」

と、驚いて目を丸くした彼女に、帰省中であることを簡単に説明した。
小学4、5年生ぐらいの娘さんを連れていて、

「ママのお友達だよ」

と紹介してくれた。

「こんにちは」

と少女は見知らぬオドサマを見上げて屈託なくあいさつをした。
そのまっすぐな様子にオドサマはやや動揺しながら、少し上体を屈めて

「こんにちは」

とあいさつを返した。後から考えると「こんばんは」の時間帯であった。

二十歳前後の三年程を、毎日のように一緒に過ごした。
あまりに唐突だったので、お互いに何を話せば良いのか分からないような、ぎこちない、束の間の再会だった。

・・・この出来事のことを上越へ戻る車の中で考えていて、二つの直線が交差する様子が思い浮かんだ。
線が鈍角に交わるとき、線の接触は束の間だ。
それに対して鋭角に交わる線は長く接しているように見える。
でもやはり近づいた線はどこかの点で交差していて、いつかは離開していく・・・人は数多の人と鈍角に出会いながら、ごく稀にきわめて鋭角な出会いを経験するのかもしれない。そしてまた少しずつ、別々の人生を歩き出す。


かっぱの湯を後にして、酒処を探して歩いてみることにした。
やがて寿司屋の看板が灯っているのが見えてきた。

「小梅寿司」の店内では声の大きいオドサマ三人が赤ら顔で議論に花を咲かせていた。
怒っているのか喜んでいるのかよく分からない人達だ。
南部はどうだとか津軽はこうだとか言っている。
本州最北県の飲兵衛たちは三百年前から同じ話題で議論を続けているのだ。

生ビールで乾杯し、後は日本酒をチビチビ。
付出しのイカの塩辛が素晴らしく美味しかった。
やはり職人の手作りは違う。
スーパーで売っている合成食品のような塩辛とは全くの別物だ。
握り寿司ではウニが特に美味しかった。陸奥湾のムラサキウニだ。

寿司店を出てかっぱの湯に戻った。
ロッカーに腕時計を置き忘れてきたのだ。
半ば諦めていたのだけれど、時計は律儀にもフロントに届けられていた。
善意の人に感謝。


早く帰っても仕様がないと、タクシーは利用せずにコンビニでそれぞれアルコール飲料を買い、話しながら、飲みながら、歩いた。

遠回りをして縁の場所を巡った。
すっかり変わった風景の中にポコペンをした電信柱を見つけてペンペンと叩き、三角ベースのホームベースにしていたマンホールの蓋を踏んづけてみた。

友人の家の前まで戻ったけれど、歩き足りない二人はそこを通り過ぎてさらに歩き、コンビニでアルコール飲料を買い、話しながら、飲みながら、歩いた。


朝七時半には発ちますと、友人のご両親には話してあった。
起床して階下のリビングに降りてみると朝食が用意がされていて、置き手紙があった。

「カボ君へ。お土産の菓子と野菜を玄関に置いてあるので持っていくように」

と、書かれてあった。つっけんどんで温かい。

到着した日の晩に出してもらった特別なご馳走があり、それが朝食にも添えられていた。オドサマの到着する前の晩に仕込んだものだという。

DSC_0629.jpg

「けずし」という。
ネマガリタケ、ワラビ、ミズなどの山菜に、身欠きニシンが入った山菜の飯寿しである。
新しいものは新しいもので美味しいし、日が経って乳酸発酵が進んだものもまた美味しい。
オドサマにとっては魂が揺さぶられるようなソウルフードである。
思いのこもった有り難いご馳走。


上越の方言では、例えば小豆粥のことを「あずきんけ」と言ったりする。
そうしてみると「けずし」の「け」もきっと、「粥」のことなのだろうなと今になって思う。
新潟と青森はずいぶん離れているし、方言も全く別物だけれど、ときどき言葉の共通性を見出すことがある。
それらは千年の昔、蝦夷と呼ばれた人達が話していた言葉なのかもしれない。


七時半出発の予定が八時半になってしまったが、畑仕事から一旦帰宅した母君と顔を合わせることが出来た。

「おめだえのママさそごの地蔵様ひとっつ持っていげじゃ(あなたのお母さんにそこのお地蔵様をひとつもっていきなさい)」

下駄箱の上に可愛らしい手作りのお地蔵様が五体並んでいた。
手芸も得意なのである。きっと忙しい合間の楽しみなのだろう。
一種の祈りであるのかもしれない。

140719_191547.jpg

母君に見送られ、友人と一緒に父君の作業している畑に向かった。
父君は「まんだこいへ(また来なよ)」と日焼けした顔で笑った。
友人はそのまま畑の手伝いだ。二人に見送られて帰路についた。

途中仙台に寄って老父の顔を拝み、頂いた野菜とお地蔵様を母に渡して行こう。

テーマ : 写真日記
ジャンル : 日記

飯鮨の話し(2014正月帰省・前編)

正月に仙台へ帰省してきた。

一昨年の夏、老いの目立ってきた両親が弟の新居へ身を寄せて、以来実家は仙台となっている。

友人には長男が多いけれど、なぜか何処も弟達が堅実でしっかりしている。

妻子は仕事に学業にと忙しがっていて、この頃は帰省に同行する機会が少なくなった。寂しい気もするけれど、人生のある一時期が終了したのかなとも思う。

まあ、そのぶん今は貴重となっている両親との時間をしっかり持つことが出来るし、とかく長距離ドライブには夫婦喧嘩がつきものなので、その地雷原を往かずに済むのは気楽ではある。

正月二日の夕方に到着したところ、父の調子があまり良くないらしく、母いわく「ゆんべながら宇宙人だのさ(夕べから宇宙人なのよ)」と。

父は椅子に腰掛けてはいるが、顔を見ると緩く開いた口から舌が出たままになっていて、よだれが垂れている。

肝機能が低下していて、血液中のアンモニア濃度が高くなり過ぎると意識を失うらしい。その一歩手前がこの廃人のような表情なのだ。意味不明なことを言ったりトイレを汚してしまったりの父を、母は宇宙人だと言って何かにと世話を焼いている。これもひとつの夫婦の完成型なのかなと思い、感慨を持って眺めた。

到着した日の晩は仙台在住の友人が焼酎を持って訪ねてくれた。親しい同級生の弟で、彼は自分でハタハタの飯鮨(いずし)をこしらえたりもする。去年はブリコ入りのものをご馳走になったけれど、かなり美味しかった。今年の分はまだ熟成途中らしい。

ハタハタ飯鮨
(去年のハタハタ飯鮨)

飯鮨は現在の握り寿司のご先祖様のような郷土食だ。生の魚を塩で〆てから、御飯、米麹などと一緒に熟(な)れさせたもので、琵琶湖の鮒鮨(ふなずし)が有名だけれど、サバやサンマを使ったものなど、日本各地で個性的な飯鮨が受け継がれている。

現在のものは衛生的な面と誰もが食べやすいようにという配慮からか酢で処理してあるものが一般的だけれど、酢を使わず古典的に乳酸発酵させたものは形容し難い芳香と旨味がある。けれども食べつけない人には単に「腐った魚」と感じられるかもしれない。

ボツリヌス菌による食中毒の多くがこの飯鮨で起こっている。時に死者も出る怖い食中毒である。ボツリヌスは嫌気性菌で空気に触れない密閉環境を好むので、熟成はそれとは逆の好気的な環境で、好ましい菌や酵母に活躍してもらいながら進む必要がある。

郷里の青森は飯鮨王国と言っても良いぐらいその種類が豊富で、ハタハタの他に、鮭、ホッケ、イワシ、アジ、カレイなど、あらゆる魚で造られている。珍品としてはウグイやニゴイなどの淡水魚も材料になっていたりする。箱売りしてあるような小魚を何であれ飯鮨に加工して日持ちを良くし、乳酸発酵で軟らかくなった骨ごと食べてしまうのである。ずっと残っていってほしい食文化である。


飯鮨の話が長くなってしまった。初日の晩は母が煮ておいてくれたツブ貝や、弟がこしらえたという牛スジ煮込みなどを頂きながら深々と飲んだ。大きなツブ貝をほじっていて煮汁の中にくるりくるりと貝の腑(わた)が幾つかおよいでいるのに気が付いた。何かとたずねたら、「刺し身とったのごり。オメだば食べるべど思って(刺身を取った残骸。貴方なら食べるだろうと思って)」と母。なるほど・・・何よりのご馳走だ。

(この項は次回へつづきます)

テーマ : 趣味と日記
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プロフィール

オドサマ

Author:オドサマ
郷里の津軽地方ではナイスミドルをオドサマと呼びます。まだそれほどの年齢でもないのですが、故郷への親愛をこめてハンドルネームとしています。現在は新潟県東頸城在住です。古代、東北は採集民の楽土であったといいます。その血統によるものか、自然の中で食材の採集を楽しみ、調理を楽しみ、食べることを楽しむことで、日々心身が満たされています。そんな喜びをブログを通して多くの方にお伝えできればと思っています。

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