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2017 秋の仙台行き(3)



土曜の午後からのセミナーと懇親会は、寝不足の割には案外調子よく過ごすことが出来た。

初対面の人ばかりの中で、それでも懇親会ともなれば互いに会話の緒を探しながら、お酒の力も借りて楽しいひとときを過ごした。自分より少し先を行っている人の話が聞けたりするので、セミナー後の懇親会は有意義だ。


懇親会が有意義すぎて後遺症の残った日曜日。
弟の職場で出店をしているイベントが仙台で開催されているらしく、顔を出しに行くと言うのでついていく。和牛の祭典らしい。

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弟の職場は携帯電話屋さんなのだけれど、出産を控えた雌牛の体温変化を携帯電話で確認できるシステムも手掛けているのだそうだ。生き物を飼う仕事は年中休みが無いので、そんな技術の進歩はきっと助けになることだろう。

会場は全国の畜産関係者で溢れており、皆それぞれの産地がプリントされたお揃いのポロシャツなどを着て、地面に車座になって弁当をつついたりしている。白い長靴を履いている人が多い。

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名だたる和牛産地から提供される無料試食コーナーもあるので、一般見物客も含めてかなりの人出だった。昨日は仙台駅周辺でストリート・ジャズ・フェスティバルも開催されていて、「ジャズフェスのせいでホテルに空室がなくて困った」と、昨日のセミナー参加者が話していたけれども、むしろこちらの全国和牛共進会に全国から自慢の牛を連れて参集した皆さんによる影響だったのだろうと思った。

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通り過ぎざまに、ガラケー(※)を耳に当てて大声で話している他郷のオドサマの言語がまったく意味不明で、「九州方面の言葉だえんたな(みたいだね)」と、九州で勤務経験のある弟が津軽弁で話した。

(※ ガラケー : ガラパゴス携帯。かつて主流だった携帯電話。片手で扱いやすいので今も職人さん等に根強い人気がある。)

出店しているブースはどれも興味深く、畜産のプロに向けられた製品やサービスは素人の私達が日頃目にすることのないものばかりで面白かった。

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刃渡りの短い薄刃のナタのような刃物があり、何に使うのかと店主に尋ねると「牛や馬の爪切りだね」と。それをもう少し縦長にしたような刃物もあり、「これは?」と尋ねると「鶏や豚を〆たり、なんにでも」とのことだった。

隆々と肥えた黒牛の側面写真の横に、どこか特定の部位の鮮やかな霜降り肉の断面写真が添えられていたりするのを見ると、何か現実的な悲哀と浮ついた俗欲とを並べて提示されているようで、どのように見ていいのか少し戸惑う。

二日酔いで牛肉の焼ける匂いにはまったく触手が動かず、イチゴ氷を食べて賑やかな会場を後にした。


上越への帰り路、山形で以前から気になっていた食堂に立ち寄ることが出来た。いつも営業時間にタイミングが合わずにいたのだ。気張っていない近所の食堂といったたたずまい。

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個性的でない、という個性が光る一杯。際立って目を引くところはないけれど、当たり前のように美味しい。

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店内に漂うカツ丼の匂いを嗅ぎながら啜る中華ソバは、なかなか贅沢だ。懐かしい近所の食堂の空気感。
次に来る時はカツ丼を注文してみようと思った。

2017 秋の仙台行き(2)



朝7時に仙台の実家に到着して焼き魚の朝食を食べた。その後、母と弟は温泉へ出かけていった。膝の悪い母は温泉を喜ぶのだけれど、父の介護でなかなか行ける時間が取れないようだ。

目的のセミナーは昼過ぎからで、懇親会も二次会までしっかり申し込んである。今朝方の車中での3時間ばかりの仮眠ではやや不安なので少し眠っておこうと思ったのだけれど、横になって目を閉じても何故か眠れない。何となく父の様子を見に行くと、父はキョロリと目を開けていた。

「まま、くったの(ご飯は食べたの)?」
「くったぁ」

母が朝食を摂らせてから出掛けたのは知っていたのだけれど、認知の程度を確認しようと思って話しかけてみた。

「体の調子はどんだの(どんななの)?」
「・・・調子は・・・いい」

先日発熱があった際には「そろそろ心の準備をしておいて下さい」と医師が話していたそうなので、あまり体調が良い筈はないのだけれど、尋ねれば常に「いい」と答える。それでも返答が出来ているので、悪いなりにも今日は体調が良いのだろう。

「樺太で暮らしてだころは、どごで(何処で)住んでだの?」
「・・・◯☓△」
「え?」
「・・・◯☓△」
「ん?」
「・・・アレくれば、わがる(母がくれば、わかる)」

夏は戦争が話題になる機会が多い。先日も太平洋戦争の終結時に樺太で起こった惨禍を伝えるテレビ番組が放送されているのを観た。日本の北端と南端では、降伏の後もさらに多くの人々の命が無為に失われていた。そんな最中に出航した引揚船に、9歳の父は祖母と3人の妹と乗っていたのだ。祖父と3人の兄たちは樺太に残った。時化の海での引揚船の状況がいかに悲惨であったか、酒に酔った父が語るのを、子供の頃に幾度か聞いた憶えがある。

「マオガ(真岡)は違うの?」

呼び水になるかと、スマートフォンに表示させた地図を見ながら樺太の中心地だった街の名を告げてみた。

「・・・シシカさいだ(にいた)」
「シシカ?」

地図の中に該当する地名を探した。「敷香(シスカ)」という地名があった。ソ連と国境を接する、当時の日本の最北端の街だった。

「ポロナイ川(幌内川)って知ってる?」
「しってる」
「鮭だなんていっぺ上るんだべな(鮭なんかたくさん遡上するんだろうね」
「みだことねばって、のぼべな(見たことはないけど、上るだろうね)・・・」


温泉から帰宅した母と弟に父との会話のことを話した。母は父が樺太で暮らしていた街の名前など知らなかった。二人とも、父にまだそんな会話ができる能力が残っていたことに驚いていた。

1時間ばかりでもと横になったけれど、階下から
「あれっ、まんだやった、どすのこれ(あら、またやった、どうするのこれ)」
という母の声が聞こえてきた。どうやら父が禁断の悪戯をやらかしたらしい。

結局眠ることは諦めて、午後のセミナーへと向かった。

2017 秋の仙台行き(1)



受講したいセミナーがあり、金曜の夜に仙台へ向かった。
実家帰りも兼ねて仙台での催しには積極的に参加の方針。

遠出をする時は普段は行けないようなお店で外食するのも楽しみなので、あえて高速には乗らずに一般道をトコトコと。

ご当地ラーメンで有名な燕市の手前で「燕市 ラーメン 国道116」と道沿いのお店を検索したところ、「拉麺 王風珍」というお店で典型的な燕ラーメンが食べられそうだった。

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夜9時半を過ぎて閉店間際だったけれど入店することができた。魚介のダシが香る色の濃い醤油スープにたっぷりの背脂が浮き、噂に違わぬ極太麺に目を見張る。

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味も全体に濃いめでチャーシューがしょっぱいなぁと思ったけれど、もともとが額に汗して働く工場労働者向けに考えられたラーメンで、ご飯のおかずという側面もある伝統的な濃い味なのだろうと思った。なるほどこれが燕ラーメンかと、感心の一杯。


平日の深夜の国道は車が少なく、高速道路を使わなくても車は北東を目指して順調に進んだ。
途中、山形の赤湯の辺りから極端に車間距離を詰めて煽ってくる嫌な大型トラックがあり、こちらもノロノロ運転をしているわけではないのだけれど、おそらく大きな車に乗って小さなクルマに意地悪をするのが好きな運転手なのだろう。

二車線になったところで性悪トラックをやり過ごし、ナンバープレートを確認すると「八戸」ナンバーだった。何処に生まれついたとしても周囲が善人ばかりということはまずありえないのだけれど、青森出身者としてはやはり少し残念に思った。大きなトラックは加速が遅いので信号機の多い山形市内の二車線道路を抜きつ抜かれつしながらしばらく並走し、仙台方向へ右折する車線に移ると、性悪トラックはそのまま北へと走り去った。

大きなダム湖の畔の土産物屋の駐車場で寝袋に潜り込む。夜明けまで三時間ほど車内で仮眠。外気温は16°と少し寒いぐらいだ。夏服しか用意してこなかったことを後悔しながら眠りについた。

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朝の釜房ダムは天気もよくて気持ちが良かった。
さて、実家までもう少しだ。

(次項へ続く)

2013夏・青森へ

三十年ぶりに中学の同窓会が催されるというので、いまは仙台で暮らしている両親にも声をかけて青森へ帰省することにした。お盆の墓参りもできるし、父親はいつでも三途の川を渡っちゃいそうな体調なので、機会が許せば郷里の空気を吸わせ、親類等とも会わせておきたい。

上越から仙台までの経路には、荒川沿いに東へ向かっていく山形経由のコースを選んだ。磐越道は東へ走りながら微妙に南下しているので、北へ向かいたい身としては時間短縮になることはわかっていても敬遠したくなってしまうのである。

関川村を過ぎて山形県に入ると小国町。荒川の大きな風景に、時々車を停めながら進む。

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去年の秋に通った時、小国町の道の駅に面白いものが置いてあって、今回も寄り道してみようと思っていた。

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道の駅・白い森おぐにぶな茶屋

それは、エゾハリタケというキノコを調理したもので、「ヌケオチ」という名の珍奇な食べ物である。その調理法を本で読んだ時には驚愕したものである。オドサマなどの説明よりも、尊敬する清水大典先生の文章が圧倒的に面白いので、以下は家の光協会刊行の「カラー版 きのこ 見分け方・食べ方」より引用して紹介してみたい。

引用> キノコの食べ方は、どんな知名種であっても、いったん鮮度が落ち、ば腐れの前兆のふかふかか、べとついてきたら、有害細菌の二次寄生を予想して食べない。これが食菌にたいする正しい心構えである。しかし1つだけ例外がある。エゾハリタケで、若いうちはそのまま直接調理できるが、成長するとかたい軟骨質となってしまう。そこで家の北側など湿った地上に放置するか、浅く土に埋め、コバエ(ショウジョウバエ)の群がる状態に半腐れとする。これをゆでて塩に漬け込み、後日塩出しのうえ、味噌漬けか粕漬け、みりん漬けとする。酒の肴に最高の珍味。熊狩りの漁師がヌケオチと愛称して賞味した長い歴史がある。(引用ここまで)

・・・それがまさにヌケオチという名で販売されていたのであった。保健所にも説明がつけにくそうだし実際にその製法で作られているのかは分からないけれど、これは迷わず購入して帰った。

ヌケオチは実は二度目であった。オドサマのキノコ師匠が以前エゾハリタケを発見した時に、その調理法に則って味噌漬けを作ってみたのである。晩酌に招かれてそれを楊枝に刺して口に運ぼうとしたときの、奥様の憐れむような視線が印象的であった。風味はハリタケの仲間に共通の独特な芳香があり、たしかに癖になりそうな気配の味覚であった。

道の駅を覗き、珍しいものはないかなと物色してみたら、あったあった。まず目に付いたのがトンビマイタケ。

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天然物の舞茸と変わらないような値段で売られていた。これは調理をすると真っ黒に変色する。

それからムキタケの塩漬け。

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これも他ではあまり見かけない。

なんだろうと思ったのが「オリミキ」というキノコの塩漬けである。

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初めて聞く名前のキノコだ。見た目はナラタケに似ているように思われた。「エセオリミキ」というキノコなら知っているけれど、あれだろうか・・・などと思いながら、今回は購入は差し控えた。これから旅に向かう身であるので調理の機会が得られないし、その気になれば自分で採取できる獲物でもある。オリミキに関しての疑問が残った。

仙台へは見込みは5時間のところ6時間かかってしまった。川に見とれて道草をしすぎた。仙台の実家でアイスコーヒーを一杯もらい、両親を乗せて青森へ向かった。母の話では、父にはここ数日のあいだ毎日点滴を受けさせて体調を整えさせておいたとのことであった。(次項へ続く…)


テーマ : 趣味と日記
ジャンル : 趣味・実用

プロフィール

オドサマ

Author:オドサマ
郷里の津軽地方ではナイスミドルをオドサマと呼びます。まだそれほどの年齢でもないのですが、故郷への親愛をこめてハンドルネームとしています。現在は新潟県東頸城在住です。古代、東北は採集民の楽土であったといいます。その血統によるものか、自然の中で食材の採集を楽しみ、調理を楽しみ、食べることを楽しむことで、日々心身が満たされています。そんな喜びをブログを通して多くの方にお伝えできればと思っています。

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