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古い道具


夜には台風25号がやってくるという週末、新潟は10月というのに35度の真夏日を記録した。
上越から寺泊へ向かう海岸線は、季節が戻ったように砂浜が日光を反射し、波の向こうには佐渡島が青く浮かんでいた。

目当ての寺泊民俗資料館は海岸通りから少し内陸に入った田園地帯にあった。
空には無数のトンボたち。

刈り取りの終わった田んぼを見渡す小高い山裾に位置する施設は、廃校になった小学校を改装したもののようで、まだ内装が新しく展示も綺麗に整っている。

一階部分にはトキを軸とした地域の自然環境についての展示。二階には収集された古い道具たちが、当時の生活風景を想わせる丁寧な解説とともに展示されていた。

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古い道具は面白い。使い込まれて角の落ちた木製の漁具や調理器具。

「どんな風に使ったものだろう・・・」

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天然素材で工夫された道具の数々。
どれも趣があって、興味深く用途を探ると、そこには人々の知恵に満ちた営みが立ち上がってくる。

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文化や習俗は、その継承に50年の空白が生じると消滅してしまうものだという。科学技術が発達して便利なサービスが普及した現代は、人が命を紡いでいくために継承してきた手仕事の技術や生活の知恵が忘れ去られていく時代だ。

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でも、ちゃんとそれを惜しむ人達がいて、寺泊民俗資料館の展示では長い眠りの中にあった古道具を通じて、普遍的で温かな営みの原形に光が当てられている。

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40代で初めて経験した米作りは度々不機嫌を起こす農機械に悩まされた。機械屋にもあきれられ、仕方なく自分で修理を試みてわかったことは、現代の機械も基本的には昔からある道具を動力化したものにすぎないということだった。

既に私達の世代は、便利な環境の中で古い生活技術にあまり接触せずに育ってきている。災害で停電でもすれば煮炊きも出来ず、暖をとることさえも出来ないありさまだ。ある意味、退化していると言ってもいい。

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いま、都会から地方への移住を考える人が増えているという。中には私自身もそうだったけれど、人の営みの原形のようなものに憧憬を抱いている人も多いのではないだろうか。そんな人にはぜひ訪れてみてほしい寺泊民俗資料館の展示だった。

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帰りは柏崎港で寄りみちをして、徐々に赤らむ水平線を眺めながら釣り糸を垂れてみた。結局、釣りはボウズに終わったけれど、とても充実した良い休日だった。

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冬囲い外し


ゴールデンウイークの前半と言えば、例年ならこの辺りは春の山菜がちょうど採りごろを迎える時期なのだけれど、今年は一週間ほど季節の進むのが早い。みんな若干呆け気味だ。

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コゴミ野原・・・そういえば高田のサクラも早かった。

東京を離れて新潟に移り住んだ22年前に、地域で自然観察を行っているグループ「ヤマセミの会」の植林プロジェクトに参加した。この辺りでわずかに生息が確認できている色鮮やかな蝶「オオムラサキ」を増やそうということで、幼虫が育つ「エノキ」と、成虫が樹液を吸う「クヌギ」を植えたのだった。今日は会長と事務局長と私の三人で、秋に施した冬囲いを解きに来た。

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豪雪地と言われる上越市の中でもひときわ雪深い山間地域なので、植えた木は冬毎に雪に痛めつけられる。とくにこの冬は11月の中旬にまとまった雪が降ったせいで樹木の被害が多かった。まだ葉を残した木の枝に濡れ雪が貼りついて、その重さで樹幹をへし折ってしまうのだ。クヌギなどはとくに、この辺りの山で自生を見ることがほとんど無いので、そもそも豪雪地には適さない樹種であるのかもしれない。

折れた木を片付けるのはけっこうな重労働だった。それでもこの時期はまだ蚊や蚋(ブユ)などの吸血虫に付きまとわれることもなく、作業を終えて長袖を脱ぐと、汗を吸ったTシャツが春の風に冷やされて心地よかった。

半径10mほどの範囲で食べられる野草を探してみた。

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ギョウジャニンニク。これは多分、この山の地権者が植えたものだろう。


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幼いウワバミソウ(別名:ミズ、サワナ)


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ウマノミツバ。人によっては毒草扱いをしているけれど、敬愛する大典先生の本に習って食べてみたときには、とくに何ともなかった。名前のせいで敬遠されているのかもしれない。風味はやはりセリやミツバに近い。山菜には「イヌ」、「カラス」、「サル」、「ヘビ」などの動物名を冠するものがあり、いずれも近縁種の本家よりも格下に扱われていることが多い。


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ウバユリ。アイヌ民族の郷土食「トゥレプ」はこの植物の鱗茎で、デンプン餅のようにしたり、刻んで粥にしたりして食されるという。当地域にも自生の多い種で、春一番に芽吹く様子を見ると、やはり寒冷に強い植物であるのだろう。この辺りでは誰も見向きもしないけれど、縄文の昔にはきっと主要な食材だったのではないだろうか。


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アケビの芽。苦さを味わう大人の山菜。たいがいは少量を小鉢で、真ん中にウズラの卵を落とし「巣ごもり」などど言って、醤油を垂らし、絡めながら食べる。


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タラの芽。天ぷら以外でなにか良い食べ方はないものだろうかと毎年考えているのだけれど、茹でて和えても炒めても、どうもイマイチ。やっぱり天ぷらの王様でいて頂くべきなのだろう。


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ヤマアサツキ。成熟したものを干しておいて、蕎麦を食べる時に指先でカサカサと薄皮の中の雫形の球根を取り出し、カリリと囓ってすかさず蕎麦を啜ると旨い。


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ゼンマイ。


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呆けたフキノトウ(♀株)

宿直の仕事が入っていて料理も晩酌もできないので、今回は撮影のみで採集は自制したけれど、野山はこの春も食材で溢れていました(^^)/

キクザキイチゲとカタクリ

春が来た。

雪に押されて平坦になった褐色の野原に

一番早く顔を出すのはどうやらふきのとうだけれど

たぶん二番手はキクザキイチゲ。

キクザキイチゲ

そしてお次はカタクリ。

カタクリ

その後はもうワーッと、

青や黄色のスミレやら

道化の帽子のようなイカリソウやらが

百花繚乱、春爛漫。

雪国の試練に向き合った者に与えられる

安堵のような喜び。


さいの神

小正月の集落行事、「賽(さい)の神」

藁(わら)や萱(かや)を円錐形に積み上げて、正月飾りや書き初めなどを焚き上げる。

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書き初めが熱気に乗って高く舞い上がると、学業が成就する吉兆らしい。「寝正月」とか書いて舞い上がる所を見てみたい気がするけれど、オドサマのつたない字では面白味がない。

「賽」という字を国語辞典で調べてみたところ、「神仏に報いる」という意味があるらしい。

賽の神は何処の集落も同じような日に行うので、地元の者であれば普通は他集落のものに参加することはない。オドサマは村営住宅などを転々としたので、いくつかの集落の賽の神に参加させてもらったけれど、それぞれに作り方も色々だ。

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当集落のものは二十年ほど前に当時の子育て世代の人達が「子供に体験させたい」という思いから、戦後途絶えていたものを復活させたものらしい。

なぜ途絶えたままになっていたのかというと、戦後の不安定な時代を生きた先代方は、個々の利害を主張して喧嘩ばかりしていたそうで、そういうことに気が向かなかったようである。それに見切りをつけた若い世代が動いて再開された賽の神。継承がいったん切れてしまっているので、作り方は毎年まちまちだ。

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ここ数年、余った竹を切って御神酒用の猪口をつくるのがオドサマの仕事になっている。今年は近所に引っ越してきた若いオドサマが手伝ってくれた。彼がノコを使っていると、大工さんが話しかけてきた。

大工さん:「切れそうなノコだねぇ」
若オド:「腕がいいんですよ、腕が」
大工さん:「アハハ、それは違うな。挽き方が駄目だもの。ノコはね、端から端まで使って挽くもんだ」
若オド:「へぇ~」

ノコの柄を持つ手の位置でも判るらしい。素人は柄の中頃を持つけれども、職人は柄尻を持つ。

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「賽の神を盗む」ということがあったらしい。他集落のものにこっそり火を放ってしまうのである。

「昔はね、賽の神の下に人が入っていられる空間を作っておいてね、若いもんに一升あずけて見張り番をさせたりしたもんだ・・・」

不審の者が近づくとワァーと声を上げて走りだし、追い払うのである。中の番人が飲み過ぎて、居ながらに火を掛けられてしまうこともあったというから、かなり危険だ。大らかで可笑しみのある情景が思い浮かぶ。

賽の神を盗まれると、その集落では翌年から賽の神を行うことが出来なくなるのだという。実際、それでずっと行っていないという集落もある。

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夕闇が迫る頃、先端に火を点けた藁束を持った年男、年女が賽の神へ向かい、火を放つ。それを子供達に邪魔させる集落があるという。火を消すのが子供達の役目。雪でも放るのだろうか、喜々として走り回る子供達の姿が目に浮かぶ。火を持つ大人も、きっとわざと歩をゆるめて、子供達と戯れるのだろう。

 

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ジャンル : 日記

モグラモチ



新年仕事始めの月曜日。仕事に伺ったお宅で

お茶飲みに来たバアちゃんから面白い話を聞いた。


「ココんちのジチャが死んでから絶えちゃったけど、

正月にモグラモチ追いって、したもんだけどね・・・」と。


カンジキを履いた齢九十のお爺さんが

ワラ打ちに使う槌(つち)に紐をつけて引き廻しながら

雪に埋もれた各家の周囲を回りモグラモチを追い立てたそうだ。

「モグラモチどけどけ、どかんとツチそわせんぞ・・・」


「モグラモチって何ですか?」と訊くと、

「あら、おまさんモグラモチ知らんかね?ネズミみたいだけど

鼻がこう長くて、手が平らで強(こわ)げな爪が付いてて・・・」

「モグラですか?」

「そう、モグラモグラ。田んぼの畦に穴開けるんで水が漏っちゃうんだわ」と。


「なんでモグラモチなんでしょう?」

「そうだねぇ・・・土を持ち上げるからかねぇ」


  モグラよ何処かほかへ行きなさい

  出て行かなければこの重い槌を背負わせてしまうぞよ


・・・といったことを木槌を引いた大人が真顔で唱え歩く姿を、

昔の子供達はどのように見ていたのだろう。

モグラにも優しい気がするし、長閑で、滑稽で、微笑ましい。

眼の前にいる二人の老婦人がまさにその子供達なのだ。

目を細めて笑いながら、いにしえの話をしている。

「ナタ預けられて、柿ん木にあずきんけ(小豆粥)くれて来いってね。

本当に木に切り込み入れたら叱られた。」

ナタを振りかぶって柿の木を脅かすのである。


  生るのか生らぬのかっ!生らぬなら切ってしまうぞっ!


その後でよしよしそーかそーか生るなら良しと

柿の木に小豆粥をふるまうのである。


「それで、こちらのお爺さんが亡くなられてから

モグラの被害のほうは大丈夫なのですか?」

「そうだねえ、そういえばモグラモチ、みかけなくなったねぇ・・・」

件のお爺さんは、戦時中を含めて長く学校長を務められた方だそうだ。

戦時教育に関わったことに、随分負い目を感じておられたらしい。


お爺さんが作って皆に配ったという標語手拭いが座敷に飾られている。

いくつかの標語の中で

「使わねば、鎌鍬錆びる」というのが印象に残った。

面白い人が居たんだなと、その時代の人達の心の豊かさを想った。

清々しい気持ちになった。



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プロフィール

オドサマ

Author:オドサマ
郷里の津軽地方ではナイスミドルをオドサマと呼びます。まだそれほどの年齢でもないのですが、故郷への親愛をこめてハンドルネームとしています。現在は新潟県東頸城在住です。古代、東北は採集民の楽土であったといいます。その血統によるものか、自然の中で食材の採集を楽しみ、調理を楽しみ、食べることを楽しむことで、日々心身が満たされています。そんな喜びをブログを通して多くの方にお伝えできればと思っています。

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